私がアスファルトを描く理由
作品を見た人に「何でアスファルトの絵を描いているの?」とよく聞かれるので、ここで簡単に作品の意図をご紹介させて頂きます。
美術系の大学に通っていた20歳の頃、周りの友人が徐々に自分の世界観を作り上げて自己表現をしていく中、私は自分が何を表現したいのか分からず悩んでいました。
何を描けばいいか分からないけど、何かしなければと思い、取材用でしか使っていなかったカメラを常に持ち歩き、気になったものをひたすら撮影することにしました。
そういった生活をする中で、アスファルトやコンクリートのひび割れに興味を持ち、あらゆる場所の壁や地面のひび割れの写真を大量に撮影しました。
地面のひび割れは、誰もがよく目にする日常の一部ですが、私はそれを「日常の中に潜む小さな変化の象徴」として捉えるようになりました。
そう思うようになったきっかけは、大学3年生の時に病気で体調を崩したことです。
病気になって気付いたこと
直接的に命の危険がある病気ではなかったものの、20〜23歳の間で3回手術を繰り返し、一度病気になると元の健康な状態に戻すにはかなり時間もエネルギーも必要だと言うことを思い知らされました。
日常は当たり前ではない
「今ある日常は、当たり前ではない」— この思いが私の作品の核となっています。
病気だけでなく戦争や災害、人間関係の拗れなど、人生には突然変化が訪れます。
ただそのような出来事の多くは、実は日常の小さな変化の積み重ねから生まれたものだと思います。
地面のひび割れを私がひたすら描いているのは、壊れる前の誰も気に留めない日常にひびが入っているという予兆に気付けるようになれたらと思うからです。
生きていく中で「あの時こうしていれば・・・」という後悔は誰でも経験があると思います。
どんなに意識してもこの先の人生で全く後悔せずに生きることはできません。
でも、日常の中の小さな変化や違和感に気づけるようになれば後悔することを少なくできるかもしれません。
そうするとマイナスな違和感や危機感だけでなく、小さな喜びにも気づけるようになるのではないかと思います。
きっかけは病気という辛いものでしたが、今ではいい経験になったと思えています。私の作品を見てくださった方の心に少しでも響くものがあると嬉しいです。